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そもそもの異能は“月下獣”といい、
動物園にいるようなサイズじゃない、水牛のように巨大な体躯の白虎をその身に降ろせ、
虎の性質である桁外れな膂力や鋭い爪、視力と嗅覚を備えることも出来。
ただの獣じゃあないということか、他の異能を切り裂いて無効にしたこともあったらしく。
しかもその上、身体を損なわれても元通りになる“超再生”という異能効果を持つ敦くんは、
それらとは別な次元でも そもそもの生来のそれだろう体質的に結構タフな子だった。
孤児院に居た頃はそれはぞんざいな扱いを受けてたらしく、
虎に転変しかねない満月の晩などは地下牢に放り込まれていたのだとか。
あの白虎の巨躯には一般人では到底太刀打ちできないからという事情もあろうが、
冬場でも構わずにという扱いだったというから
極寒の石の地下牢では風邪も引いたろうに、
医者に掛かった覚えはないらしく、いつの間にか治っていたんだとかで。
見て判るような怪我が再生されていたのは異能のおかげらしいが、
まさかに病気にまでそこまでのフォローが利いたとも思えないから、
意識がないほどの窮状には、あの院長がこそりと栄養剤やら投与してくれたのだろう。
しれっとした子なのはそんな風な扱いの後遺症だろうと思われ、
心細い折に誰かが傍にいてくれる、
熱の出た額を撫でたり手を握っててくれるなんて体験がなかった子だったに違いなく。
慣れない看病をそれでもしてやろうとする太宰を、
感染したら大変だからと部屋から追い出したほどだったっけ。
そんな少年だというに、いやいやそうだったからだろうか、
他者への気遣いは過ぎるほど出来る子で。
目を掛けられているからとかいう背景なぞ関係なく、
尾崎幹部の愛弟子の鏡花という少女を溺愛しているし、
部下への目配りが行き届いている中也を見習ってか、
任務や何やで共に行動することとなった連中を庇う頻度も高く。
若くして単独任務が多かった身を誤解して、
幹部らに媚びへつらってでもいるのだろうと勘違いしている
中堅世代なのに下層にいる莫迦者らは置いといて、
素直実直な若い層には大きに慕われ始めてもいるのだとか。
“…そうと思うと、私にはそういう世話焼きが集まる何かが宿っているのかなぁ。”
自分の世話さえおろそかだのに、
それは頼もしい、他人の世話まで見られるほどの存在たちに縁がありすぎる。
甘やかされているよなぁ、
だからいつまでも身につかないのかなぁと、調子のいいことを思いつつ、
「相変わらずおさまりがいいよねvv」
「うっせぇな。」
キッチンに立つ小さめの背中。おぶさるような格好で懐に掻い込めば、
無駄に縦にばっか伸びやがってと、赤毛の君が言い返したが
もがくなどして払いのけるところまではしない。
刃物を操る手許に集中したいからだろうけど、
用心深い子だってのに、
咄嗟の反射が働いて振り向くとか、そういった気配さえ見せないだなんて、
私なんぞ異能をあてにせずとも腕力だけでどうとでもあしらえると思っているものか。
態度こそ邪険な様相ではあるが、
和食だろう食事の支度に精出す手は一向に止まらぬし、
時折、手を伸ばしかけて見上げて来るので腕を緩めれば、
そのまま手を伸ばして要りような調味料など手に取ってから、
ほれと言わんばかり、細い顎をちょいと傾けて、
触ってていい方の肩を開けて見せたりする。
いやに手馴れているように見えたので、
「もしかして、敦くんもこうやって飼いならしてるの?」
少々厭味ったらしかったけど、そんな訊きようをしてみれば、
ちろりんと視線だけ此方へ振り向けて来て、
「失敬な奴だな相変わらず。
敦はこんな邪魔するような懐きようは はなからして来ねぇよ。」
邪魔だと言いつつ、でも振り払わないのはどうして?
何だかんだと御託を並べるような相手だから面倒臭いって?
そんな風に先回りの詮索を胸中でしておれば、
「敦が最近仲良くしてるっていう嬢ちゃん。
あの芥川とかいう奴の妹らしいじゃねぇか。」
「ああ。何だ、紹介でもされたの?」
こちらはとうに知ってましたというあっさりとした応対をしたのが、
自分は知らされていなかったのにという憤懣を招いたようで。
「……。」
ふっと押し黙ってしまうのをそうと拾えるのは
これも付き合いが長いからか。ああでも再会したのは最近だのにね。
そんな感触に君が変わってないと思うのは甘いのかな。
君も甘いよね、もっと用心深くならないと。
あのあやしい医者崩れに育てられてた私だよ?
指輪や何か、麻酔を塗った針付きの暗器とか仕込んだ手を延べて来るやもしれないじゃないの。
そんなことしたら二度と逢ってもらえなくなるから当然しないけど。
「……。」
「……。」
不意に交わすやり取りが掻き消えて。
そんな沈黙が重いと思ったわけじゃあない、
私としては、器用に動く手許とか見ているだけでも楽しかったし。
こんなに綺麗で、なのに根っからの武闘派で、
異能に頼りたくないものか、組織一の体術の使い手で。
だのに、実は相手を思いやる機微というか心構えは途轍もなく深くて広い人でもあって。
憎たらしい事しか言わない生意気な私が相手でも、
結構辛辣な心持ちのその切っ先をさや越しにしちゃうところが、相変わらず我慢強くて優しい。
懐に収めた身をじっくり堪能できる沈黙はむしろ心地よかったけれど、
けど、根は不器用だからか、切っ掛けを持ち出すのは断然苦手そうな君だから。
すぐ直近の話題へ空気を引き戻して差し上げる。
「別に妙な思惑なんてないよ。
いつの間にか連絡とってたらしくて、私も知らなかった展開だし。」
聞いて驚いたのはこっちも同じ。
鏡花ちゃんが困ってるところへ銀ちゃんが声掛けてくれたって縁だっていうしさ。
微妙に私の影響からか、策士…とまではいかないが
それでも機転を利かせるときに思惑をフル稼働させるところもなくはない敦くんが、
それ以上ないほどの奇遇から接点を持ったお嬢さんだそうで。
これってやっぱり何かしらの縁があるんですねぇなんて、
何への何なのだかは暈しつつも 妙に悦に入ってた虎くんだったのが微笑ましい。
そんなこんな想ってほのほのと上機嫌でおれば、そんな空気が伝わったものか、
「言っとくがそうそうこんな風に手助けはしねぇからな。」
「うん。」
言い訳みたいに、今日のこの成り行きの但し書きをわざわざ口にする気味で。
此処は2つほど取り置いてあった私の愛用のセーフハウス。
マフィア離脱以降の潜伏場所には使ってなかった、借り手募集扱いで放置していた物件だが、
その実、売る気なんてないまま放っておいたという中古マンションの一室で。
知っている顔ぶれはかなり限られるし、今現在こんな風に足を運んでいるところだと知る者といやぁ、
敦くんくらいのもの。だから、
「敦がどうしてもっていうから…。」
「だよね。ありがとう。」
「…調子狂うぞ。」
「何だよぉ、ただのお礼じゃないか。」
栄養失調起こして倒れかねない食生活は相変わらず。
ボクという、一応は食べなきゃっていう建前になってた養い子がいなくなって、
一体どんな毎日を過ごしているのかと思うと、落ち着けなくって…なんて。
ちょっとした折の話題にし続けていたらしい積み重ねの末に、
『ボクの拙い腕前でそれでも滋養の付くものをって作ったら、
何だ中也ったら腕が落ちたねぇなんて、
一足飛びもはなはだしい、筋違いなこと言われちゃって…。』
『……っ!』
何でそうなるんだという理屈が、だのに速攻で通じてしまうような機微は健在なのだもの。
むっかぁというお怒りのお顔になった現上司様へ、
どうか目にもの見せてやってくださいと
何だか微妙な煽り文句と共に此処へと送り込んだ虎の少年には さしたる思惑はなかったのだろうけど。
それでも、今度会ったら何か奢ってあげようなんて、
上機嫌のままに思ってしまったらしい太宰さんだったようでございます。
◇◇
中也さんは漢気のある人で、
気が短くて喧嘩っ早く見せつつ、その実、視野が広いというか懐が深いというか、
思いがけない恰好で気も回せるところが
部下らから絶大な歓喜を呼んでの慕われる話をぐんぐんと広げているとんでもない人で。
ご本人がトップを張れもするだろうけれど、案外と非情になれなさそうなので、
例えばウチの親方の傍や真下で融通の利く働きをこなす、
広津さんのような立ち位置にあるのもいいことかもしれぬ。
一方で、太宰さんも、何でも見通せるからこそ孤高な人であり。
あの人のいかんところは、躊躇なく容赦なく驕り高ぶって目下を見下ろすことが出来、
年功序列じゃあなく実力や貢献度優先という格好での
上下関係あってこそ回る組織に向いてるけれど、それさえ“手段”だと思っているのが困りもの。
本当に困っている人へ、黙って策を巡らせてフォローしもする、
でも自身は決していい人であってはならぬという立ち位置にいて、
嫌われた末に孤高になっても結構だと飲み込む。
例えば、敵が多い身、知り合いなら弱みになろうと人質にされかねぬ。
なので、そんなしがらみは迷惑と言い切り、些末なことに煩わされたくないからねと言い捨てて、
自分と関わってはロクな目に合わないぞと、脅しすかして遠ざける。
自分の中に踏み込まれるのが迷惑としつつ、
やさしくしといて肝心な時に助けられなかったら、最初から冷たいよりひどいじゃないか、と
あれはいつだったか、決して見せない本音というもの、誰へか零していたのを漏れ聞いたこともある。
人とかかわると相手を不幸への道連れにしかねない人間だと重々判っていればこそ、
好ましいけど非力な人を巻き添えにしたくないとし、
故意に嫌な奴であろうと構えることもしばしばな、そういう意味では不器用な御仁で。
そんな捻くれ者の孤独に、中也さんはやすやすと気づいてしまいそうなので。
そして、太宰さんの側も、
痛い目に遭えば見限るだろうなんて見込み違いをする落ち度を既に踏んでいるから、
自分からのアプローチは
“またそんなトラップ仕込んでいると思われないかな”なんて思うのか、
微妙に腰が重くなってた辺り、気づいてないかもしれないけど自分の側が臆病になってたり。
“どっちも不器用さんなんだからなぁ。”
素直に好きと言えばいいのにね。
気心知れてて安らげる人だから一緒に居たいって、
気兼ねしないで一緒に居られる、ツーカーな仲だったの懐かしみ合えばいいだけなのに。
頭が切れてそれはそれは頼れる奴だと、
ちょっとした目配せ一つで意を酌んで思う通りに動いてくれる相棒だと、
誰よりも判っているくせに、顔を見れば噛みつくような言いようしか出て来ないなんて。
もしかせずとも単純なことだろうに、
立場もあろうが、そんな風にもつれさせてさと。
ぶうぶうとあからさまに不満をこぼす敦少年なのへ、
「何でそこまで面倒な方へ持ってゆくのだろうな。」
さすがに芥川もまた、理解に苦しむというお顔になる。
今現在の愛想のいい太宰さんしか知らなければそう思うのも当然だろう。
社交的で、探偵社で難解な案件をほぐす仕事をしており、
そんなこんなで社会経験も豊かなのなら、
その場だけ和ませて流してしまえばいいものを…と感じるほどには、
彼自身も仕事や処世というものに馴染んできたようで。
そういう彼なのを微笑ましいなと思いつつ、
「…先達に当たる人ではあるが、敢えて言うとあれもまた甘えてのことだと思う。」
不満をこぼしつつも、それもまた察しては居たようで、
ズバリとため息混じりに言ってのけた虎くんで。
さして歳の差はないとはいえ、それでもかなりの修羅場を知っており、
人との葛藤もたくさんくぐって来ればこその先達らだと、
そういう話をしていたが故、
いきなりの子供扱いなフレーズが飛び出て怪訝に感じたのだろう。
「甘え?」
黒曜石の双眸を丸くし、訊き返してきた相手へ
ああと、うなずいた敦は、
「怒らせると面倒な相手だとか、これからの交際においてもどうでもいい相手なら、
逢う必然が生じても、その場だけ適当に話を合わせて用件を済ませりゃあいいだろう?」
「…だよな。」
そうと相槌を打ちつつ、ほれと、自分が使った砂糖ツボを此方へ寄越す。
風貌も怜悧で 寡黙で冴えた印象の青年だが、実は結構甘党で。
コーヒーや紅茶に砂糖を3つは放り込むのがちょっと意外だったが、
そもそも甘い物には縁がなく、栄養補給には手っ取り早く糖を取れと女医に言われたとかで。
そんな事情まで訊き出せるほどには仲良くなっている彼らでもあり。
それでというほど安直な態度からじゃあないけれど、
ついつい身内の話も持ち出せるようになっている敦くん。
「中也さんの側だって、嫌なことはヤダって突っぱねられる人なんだ。
そうそうお人よしって人じゃあない。」
いくら日頃目を掛けてる敦の頼みでも、とことん嫌ってる相手の世話なんて焼きたくなかろう。
市販品でも用心が過ぎて口に入れたがらぬ太宰が、
このままじゃあ栄養失調になって倒れてしまうなんて泣きついて、
自分が作りに出向いてもいいけれど、
このところ隠密な仕事より他の構成員を率いて前線に立つようにもなった自分が
探偵社の人間といては裏の連中から怪しまれる。
何より、まだまだ初心者もいいところの自分が作るんじゃあ意味がないとかどうとか、
拙いながらも懸命に掻き口説いたという方向にて
敦自身へ料理を伝授中のお師匠様を応援がてら太宰のところへ送り込んだという話を、
芥川の妹君に何でまた料理教室開いて接しているものかの説明の延長として
一応は事情を知りたいらしいと兄上に呼び出されたついで、
こぼれ話として語っている敦くんだったりするのだが。← 今ここ。
「こんな駄々っ子でも我慢してくれる?って顔色観て試してるみたいな。そんな甘えなんだよね。
そこまで判っていてかどうかはさすがにボクにも判らないけれど、
中也さんの側がまた、そんな駄々くらいなら受け止められる懐の深い人なものだから、」
そこではぁあと吐息つき、
「ますますと厭味言うのを辞めない、大人げない太宰さんで。
観てて痛々しいんだよネ、まったく。」
そうと言いつつ、傍でチンと高い音を立てた家電を見下ろし、
手際よく蓋を開くと
用意してあった白い皿へ器用に箸で中身を移して、
ホイップクリームとチョコソースをデコレートすると、
どうぞと向かい合う相手へ差し出してやり。
「熱いから注意してね。ナイフで一口大に切り分けて食べた方がいいよ。」
「…何故にやつがれが食わねばならぬ。」
カリッカリのキツネ色に焼けて、それは芳しくも甘い香りを立てている
ワッフルともいうホットサンド、生地はプレーンタイプを焼いていたらしい
こっちもこっちで妙な顔合わせの彼らが居る場所は、
銀ちゃんがお料理を教わっているという敦くんのセーフハウスだったりし。
「いいじゃん。甘いの苦手じゃないんでしょ?」
今日はホワイトデーだそうだから、家に居ちゃあ銀ちゃんの邪魔になるよなんて
どう邪魔なのか、まさか相手がいるのか、心当たりあるのか貴様と、
何だか藪蛇になりかかったのを、
そこはお流石、あの太宰さんの一番弟子としての口先三寸で上手に丸め込んで。
その銀ちゃんが時々お料理を学んでるところを教えといたげると誘ったのがこの部屋なのであり。
「今日のために何を教えたかは内緒。
こんな安直に焼けるものじゃあないことは確かだから。」
「なにぃ?」
そんな手の込んだものを一体誰へと作ったのだと、無粋なことを言いかかるのへ、
落ち着きな、今日は男性の側からのお返しの日だよと まずはたしなめ。
ナオミさんも一緒だっていうから
探偵社の皆様への明日のおやつ代わりだと思うけどと薄く種明かしをしてやって。
だったらお兄さんを呼び出して家を空けたげる、
ボクの手腕に任せてと約束したんだ、大人しく此処にいてよと言いくるめ。
うぬうという疑りの眼差しのままなため人相が悪くなったままながら、
それでも何とか鎮火した兄上へデザートナイフとフォークを渡し、
“バレンタインデーに渡しそびれたからね♪”
ちょっと不穏な台詞は胸中にて。
結構自慢で鏡花ちゃんからも好評な、
市販品は使っていない自家製ワッフルをご馳走した虎の子くんだったそうでございます。
〜 Fine 〜 20.11.24〜21.03.15.
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*太中の二人を何とかしたくて長々続いてすみませんでした。
難しいです、あっちのお二人は。もっと上達してからだなうん。
(その結論出すのに何カ月かかっているものか)
何かいろいろ詰め込み過ぎたか、
あっちへ寄り道こっちへ寄り道しまくった出来になっちゃいましたが、
月下の孤獣その後編でございました。
何が面白かったって、芥川さんと敦くんの立ち位置が変わったため、
最初こそ手古摺ったものの
このまま行くとお初の敦芥になりそうなので、
段々“おらワクワクして来たぞvv”という心情になっちゃったところかな?

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